あと二ヶ月ちょっとだったのに、悔しい。 [健康 介護]
今日、歯医者に行ってきました。水曜の夕食時、奥歯の一部が欠けてしまったのです。
治療は実に簡単で欠けた部位をキレイにして、詰め物をして一回で終了でした。少し凍みましたが我慢の範囲内でした。
すぐに修復できたことは良かったのですが、健康保険証を使わなければならなかったのが、ちょっと悔しいです。
今年はというより、15年以上医師の診察を受けていません。昨年歯医者にかかったのですが、最後に健康保険証を使ってから12年ぶりでした。12年前も歯科受診でした。
今年も風邪をひいても腰が痛くなっても、なんとか自分で治して、医療を受けずにきたのですが。あと2ヶ月ちょっと私の歯の疲労が持ってくれたなら。残念!
1年間健康保険証を使わないと、町から2,000円相当のご褒美が届くのですが、別にそれがほしいわけではないのです。
脳=自律神経を活性化し自然治癒力を高め、人の体を良くする仕事をしているものとしては、できるだけ医療の世話にならず、身体を良くしていきたいと思っているのです。
あれから11年過ぎたのか! [健康 介護]
2004年8月7日の今頃、母は病院のベッドの上だった。それから3日間脳梗塞の疑いの治療を受けた。3日後の9日。母の様子は悪化し高熱を出し、私の問いかけにも答えなくなっていた。母は医療ミスにあいました。
あれから11年。
数年間この日になると、怒りがこみ上げてきたものでした。
今でもあの三日間の事はよく覚えています。違うのは怒りの感情が湧き上がってこないこと。時の流れなのでしょうかね。
・死にそうになっていた母に「ばあさん死んだふりしてんのか?」と言った、精神に異常のある、脳外科医のシバタ医師は、今でもどこかで医師を続けているのでしょうね。
・入院したその晩、「転院したほうがイイですよ。」と、アドバイス(?)してくれた、腰痛持ちの看護婦さん。
・父が入院中にバイタルなどを聞くと、めちゃ嫌な表情をしたのに、10日の早朝、無事命が助かった母を見に行ったら、別人のように母のバイタルを親切に教えてくれて、赤?看護師さん。知っていたんですね、母が危ないことを。(息子の私が医師に文句つけて、母の命が助かったので嬉しかったのでしょう)
・そして、ヤナギ婦長さん。患者が死にそうになっているのに、それを上の人に伝えられなかったのですかね。いくら医師の治療方針に従わなくてはいけなくても、患者の命が危なかったのよ。
後で「あのときは危機一髪だった」というような事を言っていましたが、患者を救うのは家族ではなく、あなた方病院関係者でしょうに。
でも、そんな病院だったのですね。今、その病院は幸手から久喜に移りました。病院の名前は良いのですが、中身が大切ですね。
友人の木島知草さんの絵です。
もし、あの時あの病院で母が命を落としていたら、怒りは続いていたのかな・・・なんて思ったりもします。
戦後70年です。今年はいつもの年と違う8月15日。ずっと、戦後であってほしいものです。
マッサージ器に負けたかな! [健康 介護]
今日も暑かったです。猛暑日となりました。
久々に母が登場です。 足だけですが・・・・
足が浮腫んでいます。 実は母が足を乗せているマッサージ器が、昨日大活躍をしたのでした。
施設で働く友人が同じマッサージ器をもっていたのです。以前に私から購入したのですが、使っていないとのことで、持ってきてもらいました。
「母の踵に床ずれができた時、足を乗せてブルブルして血行を良くしたら、かなり状態が良くなったよ!」とスタッフさんに伝えたところ、さっそく試してみようということに。
車椅子生活の奈美子ちゃんの足が、むくむくに浮腫んでいたので、リハビリベッドの上で治療開始です。
足をマッサージ器に乗せてブルブルしている間に、スタッフさんが軽擦してあげています。 治療しながら私はながめていました。
「あっ、なんかむくみが減ってきた~」
えぇ~、以前私が治療した時は、たいして変化しなかったのに!!!
スタッフさんが軽擦をずっと、献身的に続けました。
結果・・・・ムクムクのむくみはどこへやら、足の甲の皮膚の下にすぐ骨が触れるほど、むくみが解消したのでした。
恐るべしマッサージ器、いや、スタッフさんの何とか治したいという思いと、やる気でしょうね。浮腫みだけでなくその後、あまり出なかったおしっこもしっかり出たわ~と、スタッフさんの嬉しい顔がありました。
再来週ボランティアで施設に行くことにしました。 雰囲気がとても好きで、少し遠いですが利用者さんスタッフさんに、会えるのが楽しみなのです。
記念日 [健康 介護]
き‐ねん【記念】
[名](スル) 1 思い出となるように残しておくこと。また、そのもの。「卒業を―して写真を撮る」「―品」 2 過去の出来事・人物などを思い起こし、心を新たにすること。「創立五〇周年を―する式典」 ◆「紀念」とも書いた。 |
母のパスポート写真 [健康 介護]
たくさんのお花に囲まれた母・・・
病院の看護婦さんが母にしてくれたお化粧が素晴らしく 、参列された方が驚いてました。今度入院費用を持っていくとき、何か差し入れをしなくてはなりませんね!
中には「こんなにステキにしてくれんだったら、私の時もここでやってほしい」とおっしゃる方もいました。葬儀屋さんが化粧したと勘違いしたみたいです。
母のコースには「おくりびとは」つきませんでした。オプションで頼めたと思います。しかし、どんだけ費用が・・・
今は斎壇の遺影は液晶テレビなんですね~。
驚きですね・・・
背景の画像が変わるんですよ。
こちらの画像は上の画面と、花が違うでしょう?
すこし微笑んでいる母です。
ちょっと整形ならぬ、トリミングをしてもらい、10歳は若返ったように見えます。
あちらで待っている父が惚れなおしそうだ~ ね?
看護婦さんと葬儀屋(写真屋さん)に感謝です。
あれから一週間経ちました。何故か長く感じます。
私の体調を心配していただき、誠にありがとうございます。
一時は体重が75kgを切りそうになりました。精神的ストレスは胃を直撃する事を実感しました。
しかし、復活はいつものように早く、というか通夜の席でしこたま寿司を食い、ビールを飲んだ為、逆に体重が79kgを越えてしまったのです。
昨日からキャベツ中心の食生活に戻し、今朝は77,7kgと縁起のいい体重でした。
「今はまだ気が張っているけど、49日を過ぎるとガックリきて体調を崩しやすいから、注意してくださいね!」などと、近所の方が言葉をかけてくれました。
ありがたいものですね・・・
いよいよ暑くなってきましたね。湿気もすごいです。
夜中は電力余っているのですから、節電もほどほどにして、エアコンかけてしっかり良い睡眠をとる事をお勧めします。
睡眠不足は良くないですからね。
では、おやすみなさい。
・・・? あれ
ずいぶん早寝ですね? 投稿時間が15時になってます。こんな時間にお休みしません。寝たのはPM10時過ぎでした。
この時間は記事を書いて、最初に保存した時間のようです。UPする時今の時間にしないと、こうなっっちゃうのですね。今日気付きました。
母を支えたモノ・・・ [健康 介護]
小雨混じりの母の告別式も無事終わりました。
心配した納骨の時の雨も、傘をさすほどの雨ではありませんでした。
参列された方も滑りやすい石の上で、転ぶこともなく本当に良かったです。
母の葬儀のお手伝いをしてくれた地域の方や、遠方から来ていただいた方が雨に濡れたり、ケガをしたら誠に申し訳ないですから。
さて、前回の記事の謎のBOXです。
この中に
断熱材を入れるのですが・・・
断熱材をBOXの内側の大きさに切り、それをアルミ箔でカバーしました。
断熱材のままでも機能的には良いのですが、一応、儀礼的に綺麗に見えないと。
BOXの中に静かにそっと・・・
アルミがすぐ破れちゃうので、そっと優しく入れていきました。
アルミ箔の上には軽い素材の石と、ペンチを入れました。
ペンチは切る為の物ではなく、つかむための道具です。
断熱とつかむ・・・ ヒントですよ~
いつ何をつかむか、わかりましたか・・・?
・・・・揺れています。けっこう大きいかな~。遠いとこで地震が起きたかも?
・・・福島で震度4とラジオが伝えています。
09年に母は転倒し、右大腿部中央を骨折しました・・・
もうわかったでしょうね。でも、難しいかも!
離れ離れになった右大腿骨を繋ぐため、ブツは大腿骨の中に入っていたのです。
高温で出て来るブツを入れて、持ち帰るための断熱仕様のBOXでした。
正解しましたか・・・?
09年にX線に写ったそのブツを見たとき思いました「お壷に入るだろうか?」
先ずは、母が手術を受けた病院に行き、ブツの長さを担当の医師に聞き、30cm以上40cm以下のチタン製の棒とわかりました。
次に、骨壷の高さを聞きに火葬場に行きました。しかし、事務所の方は「壷は葬儀屋さんで用意するものでここにはありません。でも以前同じような事があり、焼けた棒は熱くて持って帰れないので、翌日取りに来たことがありましたね~。」そうおっしゃっていました。
そんなわけで、40cmの棒を入れるケースを買ったのは、昨年の初めでした。中の物は母が亡くなってから用意し作りました。
無事入るだろうかと心配でしたが、チタン製のブツは1000度前後の高熱のおかげで、ちょっと縮んで曲がっていました。
ピッカピッカで出てくるかと期待したのですが、そんなわけないですよね・・・
ともあれ無事BOXに収まり、私のもとにあり母の形見とします。
ブツがどんなんか見たいですか? まぁ~、見たくないですよ。
プロジェクト「FUKUSHIMA !」 [健康 介護]
私、震災以降ラジオ派になってしまいました。
TV以上に情報量が多い気がします。
先日はNHKラジオで元気が出てくる、そんな番組を聞きました。
大友良英 さんという音楽家へのインタビューでした。
プロジェクトFukusima の中の、大友さんの文を拝借しました。
「これまで日本の外では知られる事すらなかった福島という地名は、今や原子力発電所の事故をおこしたFUKUSHIMAという不名誉な響きとともに世界に知られる名前になってしまいました。
専門の技術者ですら解決の糸口を見いだせない原子力発電所の問題を、わたしたち市井の人間、ましてや音楽家や詩人が解決できるわけもありません。しかし、今回の問題は、単に放射能の流出とそれにともなう様々な問題だけではなく、今後の原子力発電所を含む電力をどうしていくのか、ひいては電力に支えられて来たわたしたちの生き方をどうしていくのかという大きな問いをわたしたちに投げかけてきます。」
全文はこちら↓をクリックして、読んでみて下さい。
この記事を前回UPしようと思っていたのですが、母が急だったため変更になりました。
病院から連絡があったのが一昨日の今頃だったでしょうか?何かあれから随分時が流れたような気がします。
母は今約7年ぶりに実家である兄の家の、畳の上に休んでいます。明日もう一晩したら住み慣れた家ともお別れ、そして明後日土曜日にその姿は天に召される事となります。
お坊さんの都合で告別式が土曜日になりました。涼しくてよかったです。
朝夕母に会いに行っています、蒸しタオルで顔を拭いたり、背中を撫でたりはさすがにできませんが、いつものように母に声掛けしています。
兄夫婦や二人の孫、そして私のために、少し長い時間が与えられた気がします。
今日は母の天国へのパスポート用の写真(遺影)が届けられました。
それは可愛いんです。
たくさんのコメントをありがとうございます。自分のブログのコメントを見ているときが、一番うるうるしてしまいます。悲しくてではありませんよ、皆様のお気持ちが嬉しくて、もったいないからです。
以前記事にした「Yell ! エール」のように、私も皆様のコメントでとても癒され、励まされています。
ありがとうございます。
今は土曜日の午後の納骨の時、雨が降っていない事を祈るばかりです。
今花盛りの、紫陽花となつつばき(シャラ)そして、母が好きだった葵が母を送る花となりました。
まぁ、他にもたくさん咲いてますが(-_-;) 2月の紅梅でなく良かったです。
母のためにあるものを作りました。
このBOXに一工夫しました。
何かわかったら・・・・ すごい想像力です。
ありがとう、ば~ちゃん 母が旅立ちました。 [健康 介護]
先ほど病院から帰りました。
母が急変したとの電話があり病院に着くと、母のほっぺたは冷たくなっていました。
もう昨日になってしまいましたね。
母(silk)は6月13日夜、大好きだった父の元へ旅立ちました。
夕方、呼吸の仕方が変だな~と思ってはいたのですが・・・
急と言えば急だったので、まさか今日とは・・・
そんなんで・・・
「ば~ちゃん、あなたの子に生まれてよかった。ありがとう。」そう伝える前に、母は逝ってしまったです。
ありがとう、キヌさん。
あなたの子に生まれて、本当に良かった。
あなたは私を本当に愛してくれた。
今まで母と私を応援していただき、本当にありがとうございま。
感 謝
二つの子守唄・・・ねんねこや~♪ [健康 介護]
ボイスレコーダーから流れるこの曲を聞きながら、母の顔や手足のマッサージをします。
「気持ちいいかい?」 「あ~」
あ~しか言えなくなったのか~。と先週は思ったのですが、最近は「あ~と言ったぁ」と思うように変化してきました。
あ~と言おうが言うまいが、私にとっては今一番大切な時間です。
今朝の母はおめめパッチリ、体温も平熱でとても落ち着いた様子でした。
顔と手を保湿クリームでマッサージした後、母の後頭部に左手を置きソフトにソフトに後頭骨を緩めてあげます。
右手は髪をゆっくり撫でたり、軽く頭皮をマッサージしていると、母がなんとも言えない表情をしました。
頭に触れられるって気持ちいいんですよ。
母の朝の様子が良かったので、夕方は休むことにしました。
母の命の蝋燭も、子ネズミの誕生日の蝋燭のようにちっちゃくなってきました。今ある反応もだんだん無くなっていく事でしょう。
今まで「頑張ろうなば~ちゃん!」。
そう言ってきましたが、もう「頑張って!」とはいえません。
でも「ちょっとだけ、頑張ろうか!」なんて言ってますが。
母の事になるとこんな感じで、ちょっと気分が落ちる記事になるかもしれませんが、介護のブログですので、最後はそうなっちゃう事をご了承ください。
日が昇れば、沈むもの・・・
旅はいつか終わるもの・・・
ものを食べれば、出さなきゃつまっちゃいます・・・ これは違うか?
病院のスタッフさんが明るく元気なのが何よりです。
緑の背景に黄色の花はとても気持ちが和むものですね。
雨の日はしょうがないか~! [健康 介護]
よく降りますね・・・
梅雨ですから~
しょうがないですね~
この方も、そう歌っています。
病院へ行く支度を終わり外に出たら、ドシャ、ビシャの土砂降り~
う~ん、止めとくか~。 ということで母のとこに行くのは止めました。
朝は毎日行きますが、夕方は木曜日と日・月曜日のどちらかを、その日の体調と気分次第ですが、病院に行かず休む事にしています。
半年切らなかった髪を短くしたからではないでしょうが、母は翌日の水曜日から熱が出ています。36,8度~37,4度の微熱ですが、状態が良いときの体温が35,5度~35,8に下がった母にとっては、結構な発熱になるのでしょうね。
母は木曜日からほとんど私の問いかけに答えられません。1回だけ「アッ」と言っただけのような気がします。
母も随分弱ったので、しょうがないですね。
まだ、私の甘い指をしゃぶるので、大丈夫でしょうが・・・
母の一つひとつの表現がとても大切な物になってきました。
今までやるだけやってきたので、いつものセリフですが「後はお任せです。 」
上のお二人は若い頃から若く見えませんでしたね。
ずっと年をとらないというか・・・
かまやつさんの演奏は70歳を過ぎてのものと、コメントに書いてありますね。歌も演奏もいいですね。
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気分転換用画像です
母が入院して3週間が過ぎました。その間これだけ筑波山が綺麗に見えたのは初めてです。ここは病院まで、2後10分弱の地点です。
森の右手の赤い鉄塔の方向に病院があります。
到着です。右手の森の中に病院があります。
明日は早く行こうか・・・